リキパパって何者?ご挨拶と《リキパパストーリー》その1

はじめまして

リキパパと申します。

 

当ブログを閲覧いただき、本当にありがとうございます。

 

私は現在4〇歳のサラリーマンです。

 

現在の仕事は

某大手メーカーのバックヤード

オフィスワークです。

 

既婚、2児の父でもあります。

 

そんな私、リキパパってどんな人か?

自分で今までを振り返ってみようと思います。

 

そしてあなたにリキパパって今までどんな人生を歩んできたのか。

 

恥を忍んで知っていただきたいと思います。

 

どうぞ、お付き合いください。

 

幼少時代~コンプレックスも無い頃

私が生まれたのは昭和。

 

もう半世紀近くも前です。

 

男3人兄弟の末っ子でした。

 

兄が2人と言うことで、

家族も賑やかでした。

 

そんな中、末っ子としてスクスク、わがままに育ち、

幼稚園へ入園しました。

 

思い出すと、すでにワンパクな子供でした。

 

毎日幼稚園へ行くのが楽しみでした。

 

そして女の子に大変モテた!!。

 

今思うと人生で一番かも!!。

 

何人も彼女がいて遠足ではハーレムの様に女の子に囲まれ、

お弁当を食べていました。

 

そのころから身体は大きいほうでした。

 

身体つきはDNAで決まると言いますが、

既に私はガッチリしていました。

 

その後自分の体形に対するコンプレックス、

そんなことを思うようになるとは考えもしてなかったでしょう。

 

その幼稚園はカトリック系で、

地域でも割とお上品な幼稚園でした。

 

私は何といってもワンパクでしたので、

神父様によく小言を言われた記憶があります。

 

神父様は欧米人でした。

 

幼稚園は教会の敷地にあり、

神父様一家もお住まいでした。

 

お昼休みに園庭で遊んでいて、

ふと神父様の家から焼き魚の匂いがして、

「外人でも焼き魚、食べるのかな?」

とそのミスマッチが不思議だった事を

焼き魚の香りと共に記憶しています。

 

幼稚園の出し物は「イエス誕生」

兄のおかげか、

私も無事に3人の賢者を演じて親を安心させたのでした。

 

無事に卒園。

小さいながら学区の違いで友達と別れるのが辛かった。愁傷な思い出が残っています。

 

小学校時代~じょじょにぽっちゃり

無事に小学校へ入学し

割と明るい(結構明るい)性格からか、

友達も沢山でき、

イタズラも沢山の、明るい健全な小学生でした。

 

良く学び、良く叱られる児童でしたね。

 

でも今振り返れば、

この小学校生活で、

はっきりと自分のコンプレックスが生まれたと思います。

 

人気は痩せたスッっとしたハンサム君でした。

 

私はにぎやかし担当でした。

 

と言っても

イジメられるよりイジメる方だったのは間違いありません。

 

イタズラもどんどんエスカレートしていきました。

 

演劇会での配役は

悪の魔王

まさにピッタリです。

 

しかし台本では最後にやられるはずが、

本番でどんでん返しの返り討ちをする始末。

 

いや、こうして思い出すと、

今でも冷や汗ものです。

 

6年間、

学校は楽しい場所として過ごせたことは

とても財産になりました。

 

壮絶な中学校時代~一番楽しかったころ

私の中学校時代は全国的に「校内暴力」で荒れた時代でした。

 

そして、勉強とスポーツが本格的に評価されるようになりました。

 

今と違い体罰もありましたね。

 

体育教師が怖くて、良くシバかれました。

 

その頃の私は学校ではテニス部。

 

校外では空手道場へ入門しました。

 

勉強も頑張っていました。

 

学校では、

柄にもない優等生スタイル。

 

いたずらで困った私の変わり様に両親も驚いていました。

 

この時期に

先輩、後輩という考えが刷り込まれて行きました。

 

その頃の先輩、後輩は現在になっても良い絆となって

財産になっています。

 

中学校は文教地区と言うこともあり、

公立ながら中々の進学校でした。

 

ですが、中には素行が悪く、

道を外れて行く仲間もいました。

 

私は持ち回りの性格で、

勉強できる子たち、素行の悪いアウトローの子たち、

まんべんなく仲良くでき、楽しい日々を送っていました。

 

私のクラスは大変団結力があり、

授業ボイコット等もありましたが、

全員が参加していました。

 

と言って成績が悪いわけではなく、

実際数名が東京大学へ進学しています。

 

ただ、悪ノリが大好きだったんですね。

 

学校には

「勉強が分からねー」「家が貧乏だ」

と純粋な動機でグレている子もいました。

 

我々は「ただおもしれーから」という、

不純な動機でふざけていたので

教師も困惑していました。

 

このころから結構身体は大きく、

ぽっちゃりがコンプレックスになっていました。

 

男子は仲良くても女子には弱い。

 

自分に自信が無かったのです。

 

しかし、まだ異性への興味より、

日々楽しい仲間達とのじゃれあいが楽しく、

充実した生活でした。

 

テニス部に入部し、テニスも好きでした。

 

毎日テニスコートで力いっぱいボールを打っていました。

 

テニスの有名選手と同じポロシャツが欲しく、

たまたまアメリカへ行く叔父にお土産を頼みました。

 

現物をお土産として貰うのですが、

サイズがパンパンだったのです。

 

アメリカ製品は

ビッグサイズを思っていたのに。

 

叔父の

「最近はアメリカ人も大デブは少ない。みんな痩せようとしているんだよ」

との言葉に少々ビックリしたのです。

 

アメリカ人は肥満では出世出来ない。

 

「肥満は自己管理不足と査定される」

 

と知るのはまだまだ先の話でした。

 

この頃、

大晦日の夜から元旦の朝にかけて

成田山新勝寺へ

31日の20時から出かけて行って

元旦0時の鐘と共にお賽銭の雨の中、

参拝し朝まで参道をうろつくという

親公認の夜遊びが良い思い出になっています。

 

その荒行のお蔭か、

皆、それぞれ高校進学を果たして行ったのでした。

 

高校時代~辛い暗黒時代 コンプレックスとの出会い

希望と違う

旧制 第一高等学校へ進学。

 

通いたかった私立校がありました。

 

しかし

学費の面で大変な苦労を親に掛けるを感じたのです。

 

仕方なく

と言っては生意気ですが

都立一校へ。

 

中学生活が楽しすぎた為、

大変辛い高校生活が待っていました。

 

そして、中学までは地元の子たちでしたが、

高校は各地域から知らない者同士があつまり

リセットした感じでスタートです。

 

新しく関係も構築していく、そんな感じです。

 

ここで人生リセットしようと思う人もいるし、

イジメられてたのを逆転したいと思う人もいるでしょう。

 

少し前に大変人気だった人気漫画をドラマ化し

昭和時代が人気になった

「今日から俺は」の様に

“高校デビュー”してツッパリで頑張ろう!って人もいました。

 

私もあの時代だったのです。

 

女子は格段に大人びて行きます。

 

知らない人の多い中、

私は今までのキャラが通用しないことに

ショックを受けていました。

 

そしてやはりぽっちゃり(デブ)は笑われたり、

女子に全くモテない事を実感したのでした。

 

学校は都心のど真ん中。

 

オシャレな街と駅でした。

 

そんな場所で浮いている感覚。

 

コンプレックスを本格的に自覚し、

すっかり自信を無くしていったのです。

 

自分を見つめるようになる、

思春期だったのです。

 

世には今ほど

ダイエットと言う言葉もなく、

方法も無かったと記憶しています。

 

次第に学校から足が遠のいて行きました。

 

三分の一出席すれば良い、

と解釈し、

年間の各教科の最低単位数だけ出席して進級しました。

 

学校へ行かず、提出物も出さないので、赤点当然。

 

中には1学期0点をつけられた教科もあったのです。(1学期最低40点で1年合計120点で進級)

 

それでもやる気は0。

 

教師は「彼は確実に落第するだろう」と言っていると聞きました。

 

しかしそんな時、全力を出し、

3学期末のペーパーテスト。

 

1か月ガッチリ勉強して全教科100点か95点を採り、

あっさりと進級しました。

 

見返してやる

という思いだったのでしょう。

 

その反面、校外活動は盛んになって行きました。

 

大学には行くつもりだったので、

予備校へは通っていたのです。

 

当時、予備校は東京都文京区に本校がある時代でした(まだ地方校はなかった)。

 

予備校では良い成績で

夏期講習等も上位クラスを受けていました。

 

その時知り合った、

勉強できて遊びも知ってる有名私立校の友人たち、

こちらが真の友人になって行ったのです。

 

まだ空手は続けていました。

 

当時、「地上最強の空手」と言われた団体に属し、

本部で熱心に稽古を続けていました。

 

こちらはドンドン上達し、

高校三年で黒帯を允許されました。

 

この空手上達のために

ウエイトトレーニングを始めたのはこの高校生時代です。

 

当時の稽古は壮絶を極めており、

組手(スパーリング)となるとケガは日常茶飯事でした。

 

水分補給などなく、

締め切った道場で3時間ぶっ続けで稽古が普通でした。

 

今ほどの情報も無く(インターネットが無かったのです)、

少年誌の後ろに

怪しい筋肉増強の広告が掲載されたりしていました。

 

技術は「盗め」、突き方や蹴り方を教えてくれる先輩はいませんでした。

ある夜の稽古後、

更衣室で先輩同士が

「お前ウエイトしてる?やんなきゃだめだよな」

と会話しているのを聞いたのです。

 

早速バーベルセットとプロティンを買って、

自己流ながら情報を集め、

ウエイトトレーニングを始めました。

 

これが後々、

自分のダイエットの為、大変役立つ事になりました。

 

現在でも筋トレの基礎を身をもって知ったこの時期に感謝しています。

 

もう一つ、

人生の趣味になるオートバイとの出会いもありました。

 

当時は3無い運動と言って

「(免許を)取らせない、乗らせない、買わせない」

という反対運動が全盛でした。

 

私は暴走族には一切興味は無かったのですが、

オートバイには子供の頃から憧れがあり、

「絶対に乗る」

と決めていました。

 

親もオートバイには反対で、

教習所に通うお金もありません。

 

そこで予備校の友人が助けになりました。

 

彼らの中に住所を移しても良い家を紹介してもらい、

東京都の鮫洲試験場で

いわゆる試験場一発試験へ挑戦したのです。

 

当時は公安委員会も10代の免許取得には大変厳しく、

それもいきなり試験場で試験挑戦は厳しい難関でした。

 

つまり試験場で実技で乗れる練習は無免許になるわけで、

矛盾だらけなのです。

 

大型2輪(限定解除)は現在でこそ教習所で取得できますが、

当時は合格率5%。

 

5回は試験管に顔見せと言われたものです。

 

私は7回でやっと合格しました。

 

無免許なのに試験所のスラロームやクランク一本橋が何故出来るのか。

 

今となってはあり得ないですね。

 

オートバイは生涯の趣味となりました。

 

そしてやはりこの時期、

筋トレと共に体重も増加の一途。

どんどん太っていきました。

 

そして、

やっと嫌な嫌な高校を卒業する時が来ました。

 

卒業式には行きましたが、

何の感傷もありませんでした。

 

「ああ。やっと終わった」

とホッとした気持ちで一杯でした。

 

高校卒業後

そんな気持ちで高校時代を過ごして

現役で希望大学に受かるわけもなく、

今度は予備校で知り合った仲間と、

予備校へ通うのが楽しみになりました。

 

浪人し、

遊びたかったのかもしれません。

 

世の中はいわゆるまだ「バブル景気」後期でした。

 

体重が160キロへ

この時期、

体重が増加と書きました。

この浪人時代、

このブログの表題でもある「体重160キロ」へ増加していったのです。

 

この件についても思い返し、

ここに報告してみます。

 

私はもともと食べることが大好きでした。

 

好き嫌いも無く、美味しい物が大好き。

 

運動もしたけどその分食べる。

 

太る食生活と困った事

この時期の食事と言ったら、

想像を絶する量です。

 

いわゆるほかほか弁当へ行けば全種類。

 

マックへ行けども全種類。

 

一食での量です。

 

米は5合では足りませんでした。

 

ラーメン屋さんでは大盛では足りず、

ラーメン屋さんを3件ハシゴする、

といった具合でした。

 

夕食後、自分で米を炊き、

インスタントラーメンを3つ作り満腹まで食べて寝る。

 

通常の体重計の目盛はとっくに振切り、

一体自分の体重が何キロなのかさえ

把握していませんでした。

 

服のサイズはどんどん大きくなり、

3L、4L、5L

というサイズになって行きました。

 

とうとう

相撲部屋の多い両国へ行かないと

服も下着も着れなくなっていったのです。

 

順調に進んでいたように見えた私も、

実は肥満という、

認めたくない事実にむしばまれていました。

 

感じ始めたコンプレックス そして決意の時

知っている仲間は良い。

 

だが、いざ知らない人の中では

自分自身が恥ずかしいのでした。

 

皆が自分を

「デブだ!」

と振り向いているように感じました。

 

そしてついに家族も仲間も

「このままでは異常だ。健康が心配だ」

と言い出したのです。

 

現実逃避していた私も、

認めざるを得なくなっていきました。

 

自分でも感じ始めていました。

 

身体が悲鳴を上げ始めたのです。

 

簡単な段差で足首を捻挫し、

何度も病院へ行きました。

 

医師は

「痩せないとダメです」

といつも診断しました。

 

血圧も180を超えるようになり、

とうとうダイエットへ踏み出すことを決意したのです。

 

それは自分を取り戻し、自信を持てる自分へ。

 

私のテーマにもなる大きな変革への時でした。

 

その2へ続きます。

是非お付き合い下さい。

 

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